2008年03月30日

この世は修行

四十九日の法要で、お坊さんがこうおっしゃっていました。

「この世には修行をするために生まれてきた。
 若くして亡くなる人はこの世での修行が終わったから、
 極楽浄土へ早く戻るのだ。」


以前読んだ本の中にも同じようなことが書かれていました。

私には理解しがたい考え方です。

若くして亡くなった人はこの世でやりたいことがたくさん残っていて、

無念の気持ちが強いのではないかと思うのです。

残された家族は悲しみや寂しさを背負う修行を

しなければならないのでしょうか。


逆に長生きされて亡くなった人はどうなんだろう?

そんなにたくさんの修行をしなければならなかったのか。


法要では断片的にしかお話されませんでしたが、

本当はもっと深い意味があるのでしょう。

そもそも修行ってなんだろう、苦労とは違うのか?

歳を重ね、いろんな経験をすれば分かるようになることなのでしょうか?


今の私は、「日々を大切に生きる」ことを心にとめるので精一杯です。
 


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Posted by fp_maeda at 18:07│Comments(0)私の思い
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